11月1日はスーパーカーの日です
- 2022/11/01
- 22:04
11月1日はスーパーカーの日です

参考:スーパーカーフェスティバル
「スーパーカー」
嗚呼、なんという素晴らしい響きなんでしょう♪
ある一定の年齢以上の方々、いわゆるスーパーカー世代にはさらに特別な想いがあることでしょう。
スーパーカーブーム、そしてスーパーカー世代というのは1970年代が中心で、フェラーリやランボルギーニ、マセラティ、そしてロータスなどが続々と登場。子ども心をガッチリつかみましたね~♪
そんなスーパーカーにも「日本製」のスーパーカーがあった事をを忘れてはいけません!
懐かしのスーパーカーを振り返ってみたいと思います。
「童夢 零」

出典:童夢HPより
日本のスーパーカー、その代表格が童夢の「零」です。
レース車両開発における当時の先端技術者を集めて作り上げた車両で、発表は1978年のジュネーブショーで行なうなど、世界レベルのスーパーカーを目標としていました。
国内のスーパーカーショーにも登場して、大きな話題にもなりました。
残念なことに、結果としては頓挫していましました。市販化を目指したものの、当時の日本では認可が下りるわけもなく、泣く泣くお蔵入りとなりました。その後、アメリカでの発売や日本への逆輸入を目標として、後継車であるP-2を作りますが、志し途中にル・マン参戦の話が舞い込み、もともと皆さんがレース好きの集まりですから、一気に興味がレースの方に集中してしまい、結局、中途半端な状態でプロジェクトは立ち消えとなりました。
ちなみに零、P-2ともに国内で保管・保存されています。ただ、童夢の試みは決して無駄にはなっていなかったと思います。ダメだったにしても、日本でもメーカーでなくてもスーパーカーを作ることができるのだ、ということがわかっただけでも大きな収穫だったと思います。
日産「MID4」

出典:ウィキペディア
MID4(ミッドフォー)は、日産自動車が1985年9月に開催されたフランクフルトモーターショーで発表した、スポーツカー・プロトタイプです。
リトラクタブル・ヘッドライトを採用した2シーターの車体に、3リッターのVG30DE型V型6気筒DOHCエンジン(230PS/28.5kgm)をミッドシップに横置き搭載し、4WD(四輪駆動)と4WS(四輪操舵)の組合せが特徴でした。
1987年の第27回東京モーターショーでは発展型のMID4-IIが発表されました。スタイルはいつ市販されてもおかしくないほどに洗練されたものとなり、インテリアにおいてはその後に発売されるS13シルビアやZ32フェアレディZへと繋がるデザインモチーフともなりました。
サスペンションもI型では前後マクファーソンストラット式でしたが、II型ではフロントがダブルウィッシュボーン式、リアがマルチリンク式に変更されました。またエンジンも縦置きに搭載しツインターボ化(VG30DETT型)され、最高出力/最大トルクはそれぞれ330PS/39.0kgmにまで向上しました。
いずれの車種もプロトタイプとしては完成度が高く、市販への期待が高まりましたが、実現には至りませんでした。
しかし、このモデルで培われたテクノロジーはその後の市販車に展開され、その技術はR32スカイラインGT-RやZ32フェアレディZなどに受け継がれました。
例えばVG30DE型エンジンは1986年に日本初のV型6気筒DOHCの量販エンジンとして、にデチューンされてZ31フェアレディZに搭載されました。VG30DETT型エンジンは280PSにデチューンの上でZ32フェアレディZに採用され、これは後の自主規制値にもなっています。
4WDと4WSの組み合わせは後にアテーサE-TSとスーパーHICASの組合せでR32型スカイラインGT-Rへと採用されました。
ホンダ「NSX」

出典:ウィキペディア
日本のスーパーカーを語る上で、NSXの存在はとても大きいです。
開発に当たっては高級高性能スポーツカーが比較対象になりましたが、特にフェラーリのV8モデル フェラーリ・328を越える走行性能を目指して開発され、当時個体性能差が大きかった328をデータ取りのために何台も購入したといわれています。開発段階からアイルトン・セナや中嶋悟など、当時ホンダがエンジンを供給していたF1チームのドライバーが走行テストに参加した話は有名です。車両をテストした彼らからボディー剛性の低さを指摘されたため、過酷なコースレイアウトで有名なドイツのニュルブルクリンクなどで走行テストを繰り返し実施しました。その結果、世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディーが完成しました。
搭載するエンジンはさまざまな案が提案され、当初は軽量スポーツカーのパッケージング案から、2.0Lの直列4気筒エンジンが搭載される予定でしたが、開発最終段階では3.0L・V6 SOHC(250PS/6,800rpm)となりました。しかし、当時インテグラ用に開発中だった新機構のVTECが完成。これまでのようなレース用ではなく、市販車NAエンジンで“リッター当たり100馬力”の実現と、それに対する市場の好評を受け、急遽VTEC化およびDOHC化の指示が出されました。外見の特徴であるリアオーバーハングの長さの理由は二つあり、ひとつはマフラーをエンジンルームから遠ざけ、ルーム内の温度上昇を防ぎエンジン補機類の寿命を延長することで、もうひとつは空力性能の向上による高速走行時の姿勢安定性の向上のためだそうです。

参考:スーパーカーフェスティバル
「スーパーカー」
嗚呼、なんという素晴らしい響きなんでしょう♪
ある一定の年齢以上の方々、いわゆるスーパーカー世代にはさらに特別な想いがあることでしょう。
スーパーカーブーム、そしてスーパーカー世代というのは1970年代が中心で、フェラーリやランボルギーニ、マセラティ、そしてロータスなどが続々と登場。子ども心をガッチリつかみましたね~♪
そんなスーパーカーにも「日本製」のスーパーカーがあった事をを忘れてはいけません!
懐かしのスーパーカーを振り返ってみたいと思います。
「童夢 零」

出典:童夢HPより
日本のスーパーカー、その代表格が童夢の「零」です。
レース車両開発における当時の先端技術者を集めて作り上げた車両で、発表は1978年のジュネーブショーで行なうなど、世界レベルのスーパーカーを目標としていました。
国内のスーパーカーショーにも登場して、大きな話題にもなりました。
残念なことに、結果としては頓挫していましました。市販化を目指したものの、当時の日本では認可が下りるわけもなく、泣く泣くお蔵入りとなりました。その後、アメリカでの発売や日本への逆輸入を目標として、後継車であるP-2を作りますが、志し途中にル・マン参戦の話が舞い込み、もともと皆さんがレース好きの集まりですから、一気に興味がレースの方に集中してしまい、結局、中途半端な状態でプロジェクトは立ち消えとなりました。
ちなみに零、P-2ともに国内で保管・保存されています。ただ、童夢の試みは決して無駄にはなっていなかったと思います。ダメだったにしても、日本でもメーカーでなくてもスーパーカーを作ることができるのだ、ということがわかっただけでも大きな収穫だったと思います。
日産「MID4」

出典:ウィキペディア
MID4(ミッドフォー)は、日産自動車が1985年9月に開催されたフランクフルトモーターショーで発表した、スポーツカー・プロトタイプです。
リトラクタブル・ヘッドライトを採用した2シーターの車体に、3リッターのVG30DE型V型6気筒DOHCエンジン(230PS/28.5kgm)をミッドシップに横置き搭載し、4WD(四輪駆動)と4WS(四輪操舵)の組合せが特徴でした。
1987年の第27回東京モーターショーでは発展型のMID4-IIが発表されました。スタイルはいつ市販されてもおかしくないほどに洗練されたものとなり、インテリアにおいてはその後に発売されるS13シルビアやZ32フェアレディZへと繋がるデザインモチーフともなりました。
サスペンションもI型では前後マクファーソンストラット式でしたが、II型ではフロントがダブルウィッシュボーン式、リアがマルチリンク式に変更されました。またエンジンも縦置きに搭載しツインターボ化(VG30DETT型)され、最高出力/最大トルクはそれぞれ330PS/39.0kgmにまで向上しました。
いずれの車種もプロトタイプとしては完成度が高く、市販への期待が高まりましたが、実現には至りませんでした。
しかし、このモデルで培われたテクノロジーはその後の市販車に展開され、その技術はR32スカイラインGT-RやZ32フェアレディZなどに受け継がれました。
例えばVG30DE型エンジンは1986年に日本初のV型6気筒DOHCの量販エンジンとして、にデチューンされてZ31フェアレディZに搭載されました。VG30DETT型エンジンは280PSにデチューンの上でZ32フェアレディZに採用され、これは後の自主規制値にもなっています。
4WDと4WSの組み合わせは後にアテーサE-TSとスーパーHICASの組合せでR32型スカイラインGT-Rへと採用されました。
ホンダ「NSX」

出典:ウィキペディア
日本のスーパーカーを語る上で、NSXの存在はとても大きいです。
開発に当たっては高級高性能スポーツカーが比較対象になりましたが、特にフェラーリのV8モデル フェラーリ・328を越える走行性能を目指して開発され、当時個体性能差が大きかった328をデータ取りのために何台も購入したといわれています。開発段階からアイルトン・セナや中嶋悟など、当時ホンダがエンジンを供給していたF1チームのドライバーが走行テストに参加した話は有名です。車両をテストした彼らからボディー剛性の低さを指摘されたため、過酷なコースレイアウトで有名なドイツのニュルブルクリンクなどで走行テストを繰り返し実施しました。その結果、世界初のオールアルミ製軽量高剛性ボディーが完成しました。
搭載するエンジンはさまざまな案が提案され、当初は軽量スポーツカーのパッケージング案から、2.0Lの直列4気筒エンジンが搭載される予定でしたが、開発最終段階では3.0L・V6 SOHC(250PS/6,800rpm)となりました。しかし、当時インテグラ用に開発中だった新機構のVTECが完成。これまでのようなレース用ではなく、市販車NAエンジンで“リッター当たり100馬力”の実現と、それに対する市場の好評を受け、急遽VTEC化およびDOHC化の指示が出されました。外見の特徴であるリアオーバーハングの長さの理由は二つあり、ひとつはマフラーをエンジンルームから遠ざけ、ルーム内の温度上昇を防ぎエンジン補機類の寿命を延長することで、もうひとつは空力性能の向上による高速走行時の姿勢安定性の向上のためだそうです。